選手が自分(のプレー)を言語化出来ることのメリットとは

コーチング
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私は以前から「選手は自身のプレーについて説明(言語化)できなくてもいいけど、指導者は説明できなければいけない」と思っています。

選手の目標(仕事)は基本的には勝利することで、「なんで自分が上手くプレー出来るのか」「なんでポイントが取れるのか」を自分で把握していなくても勝てる可能性はあるからです。

もちろんそれを知っているほうが勝てる可能性が上がるのはいうまでもありませんが、現実には持って生まれた才能のみでもある程度のステージまで勝ち上がれるというのが、スポーツの世界の残酷な一面でもあります。

ですが指導者が同じではいけません。

自分のプレーをよく理解していない選手が、「ビューっと来たらバーンだろ」「いいから気合いでやってこい」というようなアドバイスをする指導者にアドバイスを求め、それを聞いた選手が良いプレーをする確率ってどれくらいなんでしょう。

織田信長も眺めていたかもしれない400年振りの皆既月食ぐらいの確率なような気がします。

現場で私が感じている違和感

①選手も指導者も言語化出来る
②選手は言語化出来るが、指導者は出来ない
③選手は言語化出来ないが、指導者は出来る
④選手も指導者も言語化出来ない

これでいうと先ほどの例は④で、この④の組み合わせで良いプレーをするために残されているものは運のみです。
①は理想形ですがこの巡り合わせはなかなかないので、このような出会いは選手と指導者にとって幸せ以外のなにものでもありません。(※お互い成長してこのフェーズにいけたらもっと幸せ)

②の状況なんてあるの?と思う方もいるかもしれませんが、稀にあります。
ただ長くは続きません。
信頼関係以外の要素で成り立っている関係だからです。(昭和ライクな指導現場では未だに存在します)

③がおそらくいちばん多いケースで、一昔前までは多くの指導現場でこの組み合わせだったような気がします。

ただそう見えていたのは「指導者が怖過ぎて選手側が言葉を発せられない」という空気だったからという可能性もあります。(若い頃自分も似たようなことをしていた記憶もあるので実感もあります)

私が20代の頃は「気合いでやってこい」「根性見せたらんかい」という、恫喝に近い言葉を発する指導者も少なくありませんでしたから。(もちろんまともな指導者もたくさんいたはずです)

ただここの寄り添い加減の塩梅は意外と難しく、あまりフレンドリーにし過ぎるとなめられてしまうので、選手から一定のリスペクトが得られるようにしておく必要はあります。

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理想はドラえもん

個人的にコーチの仕事の多くは、③の状態を①に近づけていくことだと考えています。

これはテニス時代から感じていた違和感ですが、「これじゃマジンガーZじゃん」と感じたことが何度もあります。
#ZついてるからZ世代にも通じるはず

古すぎますね、すみません。
「これじゃガンダムじゃん」と思っていました。

要は意思のないロボット(選手)に、主人公(コーチ)が乗って操縦するみたいな。

これって側から見たら戦ってるのはロボットっぽいけど、戦ってるの実はコーチだよね、という。

これにずっと違和感を感じてきています。

私の理想はナイトライダーの主人公とナイト2000の関係です。

古すぎますね。

マグマ大使とか鉄腕アトムの感じです。

伝わっていませんね。

トランスフォーマーとかドラえもんの感じです。

機械と人間、のび太とドラえもんどちらにも意思(言葉)があり、お互いでベターな結論を導き出す。

選手と指導者が「長く」「高み」を目指す上ではこれがベターな関係性だと私は思っています。

ドラえもん見ていればわかりますが、いつもいつもドラえもんの言う通りになるわけではなく、のび太がドラえもんの言うこと無視する場合もありますよね。

あんな感じで話し合った末に「これ」というものを決め、「結果」に対しても二人で喜んだり責任を感じたりするのが持続可能な関係だと思っています。

未だに「いいからこれをやれ。何?負けただと?お前らが不甲斐ないからだ」がまかり通る世界があるみたいで驚きますが、そういった持続可能性の低い環境はいずれ淘汰されていくでしょう。

次にご紹介する千葉ロッテマリーンズの吉井監督は、「上から押し付ける指導であれば、誰でも出来ると思う。しかしもはやそうしたタイプの教え方では、選手との間に信頼関係を構築することはできなくなっている」と言っています。

選手が自身を言語化出来ることのメリット

ここからやっと本題ですw

来年から千葉ロッテマリーンズの指揮官を務める吉井監督は選手が言語化出来るメリットを以下のように答えています。

自分のパフォーマンスをうまく言語化できる選手は調子の波が小さく、調子の波が小さい方が新たな課題に移りやすい。

調子が良い時も悪い時も自分の状態を正確に把握できるため、修正もしくはプラスアルファのコーチングを受けることができる。

上達の螺旋が上向きに描きやすい。

一方言語化出来ないことによるデメリットとして以下を挙げています。

自分の状態を言語化出来ない選手は、選手としての基盤となる基礎的な部分を安定させるのに時間がかかる。

言語化出来ない選手は、自分のイメージと実際に動いている姿がずれていることが多い。

そもそも自分の状態が分からなければ、自分の状態を言語化することもできない。

この記事の後半でも書きましたが、スポーツ(というゲーム)の難しいところは、将棋やチェスト違い、駒(技術)を自分で自分の身体を動かして配置しなければいけないところにあります。

その駒を自在に操るためには、最終的には(フォームのずれを)自分で気づいて自分で努力(修正)するしかありません。

レギンスラボ

私が要らなくなることが私の目標

選手が、

「自分がどうなっているか理解する」
「それを言語化出来るようになる」
「自ら修正して上達していく」

という段階を歩んでいけるようになってもらうために、コーチは質問をする必要があります。

コーチング=質問と捉えがちな方も多いですが、質問に対する選手の回答に物足りなさを感じた場合、それでも回答を待つのも一つの手ですが、個人的には選手に先に知識をつけてもらうほうが上達は早いと感じています。

私の指導者としての目標の一つに、「コーチを必要としない選手を育てる」があります。

これを達成するために、選手本人が自分の状態やプレーについて過大(過小)評価することなく、また自らの言葉で話せるようになってもらいたい。

指導者なのに「指導者が要らない選手を育てる」というと矛盾があるように感じるかもしれませんが、これ以外に指導者の頭の中を超えるような選手は現れないと考えています。

簡単なことではないのはこれまでの経験からも感じてはいますが、それだけにこれが出来たら有森裕子さんの名言を自分に言ってあげたいと思います。
#自分で自分をほめてあげたい

【追伸】
当アカデミーではレッスンや選手クラス以外にも、

トーナメント帯同(ベンチコーチ)
コーチング・パデル顧問
出張レッスン
パデルカルテ作成
指導者養成講座

を提供しています。
詳しくは当アカデミーのHPをご覧ください。
》JAPAN PADEL ACADEMY

そしてこれは普段私が使用しているインソールです。

このカーボンインソールを使用させていただいてから今年で4年経ちますが、日を追うごとに「立方骨が押され、足指が地面についている」感覚が増しています。

夏場はこのCCLP理論のサンダルも使用していますし、普段履きのシューズにもインソールを入れていますので、家を出て練習から帰ってくるまでの心理的な安心感があります。

他社のインソールからBMZさんのインソールに変えた直後は少し「物足りない」と感じるかもしれませんが、次第に安心感に変わるので是非一度試していただければと思います。(※物足りないと感じるのはBMZさんのインソールが土踏まずをサポートすることを第一に考えていないからです)

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